《 いじめ・登校拒否について考える 》その4 いじめ体験文集から

 私が現職の時、たいへん幸せなことに「いじめ」の問題で苦労したことはありませんでした。あるいは、いじめを受けていたにもかかわらず私がそれに気がつかなかったのかも知れません。もしそうであったとすればその子供さん達にはほんとうに申しわけないことをしてしまったと思います。
 もちろん、小さな「いじめ」は学級内で時々ありましたが、担任としての私の指導の範囲で解決していましたので、いまの学校で起こっているような深刻な「いじめ」問題を経験したことがありませんでした。

 そこで、今回、いじめ体験文集「叫び」(鹿児島県弁護士会編)南日本新聞社発行の中から「いじめ」体験者の生の声を引用させていただきたいと思います。

  その1  『 死ぬことばかり考えて 』 (24歳 主婦)
 私が初めていじめられたのは幼稚園の時。五歳のある日、肺炎で病院に入院したのがきっかけでした。一カ月ぐらい入院し、幼稚園に戻ると、友達はいなくなっていました。
小学生になると、さらにいじめはひどくなり、髪の長かった私は「汚い 汚い」「臭い 臭い」と言われるようになりました。その頃、よく「毛ジラミ」検査がありました。また、名前がどちらかというと古風なため、「おばあちゃんの名前みたすだ」と笑われ、名前を頭につけて「Yばあちゃん」とからかわれたりしました。
 一番ひどかったのは小学校3、4年生の時でした。朝、学校へ行くと、靴箱には上履きがなく、教室へ行くと机が倒されているのは毎日でした。休み時間に教科書やノートはどこかへ隠され、そのままなくなってしまい、先生には自分のせいにされて、廊下に立つ日が何日も続きました。
 先生に、いじめられたことを伝えても、いつも「あの子がするわけない」と言われて終わりです。学級委員までが一緒になって、私のことをいじめていたのです。叩かれる。蹴とばされる。物はどこかへいってしまう毎日。無くなったノート教科書は、毎日母からもらう小遣いと正月のお年玉を貯めていた中から、自分で買っていました。
私は体が丈夫な方ではなく、しょっちゅう風邪をひいていたので、学校での各種の予防注射を受けることがなかったため、そのことでもクラスの男の子たちにいじめられました。
 「痛いからやらないのだろう」「注射怖いんでしょう」「どうせ、注射打ったら泣くんだぜ」と言われたりしました。毎日いじめられても、私は決して泣いたりはしませんでした。でも、涙を見せないから、余計に面白がっていじめてきたりしました。
(つづく)

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