《 いじめ・登校拒否について考える 》その6 いじめ体験文集から

 前回のつづき

 勉強は苦手で手を挙げることも少なかった私でしたが、「はい」と元気よく手を挙げました。先生はびっくりした表情で「珍しいわね」と言い、私を指してくれました。
 簡単な問題だったため、答えを間違える事なく終えました。隣の子は「やればできるじゃないか」と小さな声で私の耳元で言い、ナイフを隠しました。
 その男の子は、頭が良く、運動もでき優秀で、中学は受験をして別の中学へ行き、高校も大学も一流を通したそうです。
 私は、学校でいじめられていることを何度も父親、母親に相談したかった。が、できなかったんです。父親は女遊びが大好きで、酒乱で、仕事が終わると毎晩酒を飲んで帰ってきては家の中のガラスを割り、壁を壊したり、大きな声で怒鳴ったりの日々でした。近所にさんざん迷惑をかけていました。タクシーの運転手仲間でも有名だったらしく、酒を飲むと変わってしまう父親でした。そのため、母親は父と毎日けんかするし、殴る、蹴る、茶碗は飛ぶ、包丁は持つ、家の中はぐちゃぐちゃでした。
 母は毎晩七時頃になると、必ず私と弟二人をふとんの中に入れて「早く寝なさい」と言い残し、出掛けてしまうのです。父親が酒を飲んで暴れて帰ってくるのをビクビクしながら待っていたのをいまでもはっきり覚えています。

 そんな毎日なので、学校でいじめられていることは両親に一度も話せず、ただただ毎日自殺だけを考えていました。朝、目が覚めると、「またいじめられるんだな」と思いながらふとんから出て、いやいや学校へ行く。学校でさんざんいじめられてボロボロになって、やれやれ終わったと思って家に帰ると両親のけんか。これは、幼稚園のころから高校三年の冬までずっと続きました。
 中学校に入ってもいじめられ、高校へ行ってもいじめられました。高校三年の冬、あれは忘れもしないクリスマスイブの夜のことです。皆は、クリスマスイブには、ケーキを食べたり、プレゼントをもらったりして楽しい日なのに、その夜、母は父に離婚届を渡しました。十二月二十五日、父親は離婚届を書き、両親は離婚しました。
 別の家に暮らすことになって、しばらくするとわ高校を卒業、それとともにいじめからも卒業しました。 十八歳の頃には就職していじめもなくなり、やっと普通の人生を歩けるようになりました。それまでの何十年もの長い長い時間、私はずっとこらえてきました。
 その何もかもが胸の中から消えて、もう夜が静かで、昼間も誰からもいじめられることもなく、「ああ、これが幸せなんだ」と心から感じることができました。
周りの人は、金持ちになるとか、彼氏と付き合うことかが幸せと言っていましたが十八歳のあの時の私は、なんでもない普通の日なのに、「幸せだ。もういじめられないんだ」と毎日が楽しくて楽しくて。

 あれから六年がたちます。いま私は二十四歳。主人と子供の三人暮らし。パートで会社で働いています。勤め始めて五年になりますが、私は今、再び周りからいじめられています。またあの頃のように「いじめ」が始まりました。
 この年になっても、いじめられなければならないのでしょうか。
 毎日、辛い苦しい日々を送っています。
(おわり)

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